こんにちは宮海です🌊

前回まで長々と私が運動音痴を克服した話をしましたが、決してそれまでの道のりは平坦では無く本当に苦労の連続だったと思います。

出来れば小学生の内に何か自分に合う競技が見つかり、それに打ち込んでいればもっと早い段階で運動が得意になり、

学校の体育の授業や運動会等で活躍することも可能だったと考えています。

しかし、私はそれが叶いませんでした。

なぜなら小学校の頃から体育が嫌いになり、しまいには運動をすることまで嫌いになってしまったから。

学校の体育の授業は、運動が得意な人もそうでは無い人も全員同じ空間でプレイをさせられます。

すると、運動が苦手な人が必然的にミスをしやすく、チーム全体の足を引っ張る形になります。

運動が得意な人達からすると、せっかくの試合のリズム、流れが止められてストレスを感じます。

特に気が荒い人はすぐ感情的になり、大声を出してミスした人を罵倒します。

罵倒された側もそれでストレスを覚え、次第にプレイをすることへの恐怖心を感じたり、やる気が無くなったりします。

それなのに、無理やり上手い人達の輪の中に入れられてミスしないよう、常にビクビクしながら時間を過ごすことになります。

また運動が得意な人達は、苦手な人へ滅多にパスを出すことはしません。

完全に苦手な人抜きで試合を進めますので、いつまで経っても技術が向上せず実戦経験も積めません。

現に私も小学生時代から、サッカーやバスケなどの球技が得意になりたいと思っていましたが

上記のような環境下では、1ミリも上達しませんでした。

むしろ、ミスをして怒られて最終的にはチームが負けて戦犯扱いされて、

気まずくなるという経験ばかりが積み重なり体育の時間が嫌いになる一方でした。

つまり、上記のような体育の授業のシステムには運動が得意な人、そうでない人両者ともメリットがありません。

ではどうしたら良いかと言うと、運動が得意な人、そうでない人を分けて授業を行うべきだと思います。

得意な人達は放っておいても勝手にゲームを進めて、勝手に上手くなります。 

苦手な人は無理にそのゲームには参加させないで、基礎トレなどの技術の習得から入るべきだと思います。

苦手な人にはまず自主練の時間を設けるべきであり、

ある程度自分で練習して、上手くなったら上手い人達のゲームに参加すれば良いのです。

私も小学生時代を振り返れば、一から丁寧に教えてくれる大人の存在や自分で練習出来る時間、環境をいつも求めていたと思います。

それなのに、そのような環境が無いまま体育の時間を過ごしたお陰で

体育・運動=辛いもの

という関係性を体で覚えてしまいました。

自身の経験からもそう言った思いをする生徒が生まない、誰にとっても体育を楽しめるような時間になることを願っています。

それではまた👋