こんにちは宮海です🌊
2020年3月の頭にまた鬱病を発症してしまった私は、苦しみながら悶絶しながら毎日を過ごしていました。
職場では仕事のパフォーマンスがかなり低下し、その影響で起きるミスや失敗に酷く怒られる日々。
家でも病気への無理解や共感能力に欠ける母からの心無い言葉を受ける日々。
また丁度その頃は以前もお伝えした職業訓練校への入校の手続きをしていた時期であり、
あまり乗り気ではない私にずけずけと
「せっかくの新しい環境で新しいことが学べるんだから、もっと嬉しそうにしなさいよ。
そしてそこで新しい友達も作ったりとかさ、ねえもっと楽しそうにしなさいって。ねえ何か言ってよ!」
とADHD傾向のある母からのマシンガントークをよく受けていました。
当時の私は鬱病で感情表現も無くなり、言い返す気力も失われていました。
もう生きることへの希望を失った私はそれまでも漠然と考えていた
「死」というものがはっきり脳内にくっきりと浮かびました。
「もう生きていても仕方が無いな……よし死のう。」
と自殺を決意した私はネットで自殺の仕方を検索するようになりました。そして見つかったものが凍死でした。
丁度季節は冬で外が寒く楽に死ねそうだと考えるようになりました。
私はお酒にかなり弱い体質のため、お酒を一気飲みしてそのまま夜の外のベランダで横になって眠りにつくことにしました。
しかし一向に眠くはならず、ただ体が凍えるだけで死ねる気配が無かったため断念しました。
そこで度数の高いお酒を一気飲みしてアルコール中毒になって死ぬことを考えました🍶
スーパーマーケットで1リットルの度数の高いお酒を買い、一気にがぶがぶ飲んだ私はそのまま布団に入りました。
アルコールが体内に回り、次第に意識が無くなってきた私ですが突然目が覚め、
布団の上で飲んだものを全て吐き出してしまいました。
我に返ってとんでもないことをしたと痛感しました。
とにかく死ぬことが出来ませんでした。そして生きることがとても苦しく感じていました。
未来への将来への絶望的だけが脳内に残り私の行動を支配していました。
そして職業訓練校に合格しそのことを職場の支援員に伝えると、あまり賛同した意見をもらえず
「あなた世間から見るとこのまだ仕事が楽な学校事務補助員の仕事すら、半年間しか続かなかった根性の無い人間だと思われるわよ。」
と言われました。
私が辞めることに大きな不満を抱いていました。
3月31日の退職日に近づくにつれて、ねちねちと嫌味のように口にするようになりました。そして
「あなたよりも前にいた知的障害者のAさんの方がよっぽど仕事が出来たわよ!」
とまで言われました。私にはもう何も言い返す気力も元気もありませんでした。
また私の退職日に近づくにつれて、周りの先生達何人かから
「短い間だったけどありがとうね。」
と言って下さる方もいました。
そして支援員から上記のように言ってくれた先生の人数を聞かれ、「2人です。」と答えると
「あなたは所詮その程度の評価だったんだよ。」
と言われました。そうこうしているうちに退職日当日になり、最後の面談では支援員からは
「あなたは私が今まで面倒を見た人の中で一番出来の悪い人だった。」
ととどめを刺すように言われ、とうとう自分の中で何かが崩れ去っていく感覚を覚えました。
そして無事その職場から逃げるように退職した私は、帰宅後家で死んだように横になりました。
もう目の前に見えるもの全てがモノクロになりました。
それではまた👋