こんにちは宮海です🌊
2020年の3月31日に仕事を退職し翌日の4月から職業訓練校のプログラミングコースを学ぶことになりましたが、
丁度その頃はコロナウイルスが流行し始めた時期でした🦠
よって学校は2ヶ月間の休校となり、6月から通学することになりました。
幸いにも当時の私には学校へ通えるような状態では無かったので、たっぷり2ヶ月間休養が出来ました。
しかしその間は地獄のような、この世の終わりのような気持ちになりながら日々家の中で暮らしていました。
前の職場ですっかり社会に出て働ける自信を喪失した私は、
毎日重いうつ症状と戦いながら布団の中で横になりながら体を休めていました。
体を休めても一向に気持ちは晴れず、悶々としながら一日中考え事をして過ごしていました。
とにかくマイナス思考や絶望感だけが脳内を支配し、
まさに生ける屍の状態でぐったりしながら1日の終わりを迎えていました。
そしてスマホでたくさん自殺の仕方を検索しまくっていました。
当時のYahooの検索欄の検索履歴を見ると「自殺の仕方」や「楽に死ねる方法」といった言葉が羅列していました。
その中でも首吊りが手軽そうと考えた私は、それが実行出来そうな頑丈なロープを探しました。
ネットで検索して通販で購入しようとしましたが、良さげなものが見つかりませんでした。
また外へ出てホームセンターなどでロープを探しましたが、なかなか太いロープが売り場にはありませんでした。
そこでズボンの革のベルトが丁度良いと思い、
それをカーテンレールに取り付けて自分の首を引っ掛けて本気で死ぬことを考えました。
それでも結局は思うように決行出来ず、失敗に終わります。
他にも様々な方法で首を吊ることを試みましたが、全て成功しませんでした。
とにかく死にたくて仕方がありませんでした。
障害者である自分の人生を早く終わらして、健常者として生まれ変わることだけを考えながら毎日過ごしていました。
神様という存在は大変理不尽であり、
人間を皆平等に作ればいいのに私みたいな出来損ないを生み出したことに大きな疑問を抱くようになりました。
そうこうしているうちに仕事を辞めてから2週間が経過し、
一向に気分の落ち込みが改善されなかった私はいよいよ精神科へ足を運びました。
そこで抗うつ薬を処方してもらい、毎日それを飲む生活になりました。
すぐには効き目が出ず、2週間後くらいにようやく気分が良くなりました💊
しかしすぐにまた気分が落ち込むようになり、精神的に不安定な日々を送りました。
抗うつ薬の効果は一時的であることを痛感しました。
そして5月になり、それでも気分の沈みはなかなか治りませんでした。毎日抗うつ薬を飲んでも、
一時的に元気になる→また気分が落ち込むの繰り返しでした。
職業訓練校の入校する日も段々と近づいてきて、このままこの状態で通学出来る自信がありませんでした。
6月から新しい環境が始まる大きな不安と、コロナウイルスが世間に蔓延し落ち着かない社会情勢の中5月は過ごしました。
そこで1つの悟りを得ました。
「自分は、障害者として生きよう。」
と。4月から毎日自分はこの先健常者として生きるか、障害者として生きるかずっと考えていました。
健常者として生きようとするから、その理想に近づけない自分に苛立ちを覚えるのだから
いっそのこと障害者として生きた方が気楽なのだと思うようになりました。
障害者として生きようとすると、本当に自分自身が身も心も障害者になってしまいますが、
それでも構わないと考えるようになりました。
日本は福祉の制度が充実しており、障害者が就労出来るところもまだまだあるだろうと感じた私はいずれは、
残りの人生を障害者雇用の簡単な仕事をしながら自分の趣味に身を投じることを決意しました。
私には大学時代から毎年ハマっていたサッカー観戦の趣味があり、
自分の好きなチームの応援をすることが生き甲斐になっていました⚽
ですので一生そのチームの応援に身を捧げて残りの人生を送る道を頭に浮かぶようになりました。
すると幾分気が楽になりました🌟
健常な人達みたいに正社員としてサラリーマンとしてバリバリ働いて稼ぐ人生に憧れを抱くから、自分自身が苦しむのだと分かり
いっそのことその憧れを捨ててしまえば悩まなくて済むと分かりました。
そして5月も終わりに近づき、職業訓練校の入校の準備が始まりましたが、
上記のような考え方を持った私は思ってたほど平然としていました。
「障害者として生きて気楽に生きる。」
そう覚悟しているうちにあっという間に6月になり、新たな世界がそこで私を待ち受けていました。
それではまた👋