こんにちは宮海です🌊
前回に続いて私の就職活動の話をしたいと思います🍀
大学3年生の3月の始め頃に東京で就活生の内定をサポートする団体の個人相談を受けました。
そしてそこで厳しい現実を突きつけられました。
私の大学3年間頑張ってきたことを全て話すと、
「何も自己PR出来るものが無くてこのままでは厳しい。どこも取ってくれない。」
とはっきり言われてしまいました。就職活動を始めた当初から薄々感じていた不安がさらに膨大に大きくなりました。また
「これから自己PR出来るものを見つけて、就職浪人した方がいいかも。」
とまで言われました。その人も少し言葉が過ぎる気もしましたが、
それらの言葉をきっかけにすっかり就職活動への自信が喪失してしまいました。
それでも就職活動をしないと、新卒で正社員として就職出来なくなるので、
再び持ちこたえて自分なりに3年間頑張ってきたことを信じて活動をしてみようと思いました💨
まずいよいよ学校法人のエントリーシートを提出することにし、何とか1年間ずっと考えて完成させた1枚を企業宛に送りました✉️
しかし結果は全く通りませんでした。
それもそのはず、学校法人は採用倍率が100倍超えるところも多く、
地方の無名の私立のFラン大学の学生のエントリーシートは呆気なく弾かれました。
また内容も今思えばかなり酷いものであり、志望動機も誰でも書けるような浅くて薄い内容の中身の無いもので、
自己PRもやはり上記の就活アドバイザーの人の言う通り、武器になるようなものが書けませんでした。
1年間の頑張りが全て水の泡となり、2、3日燃え尽きて何も出来ない日々を過ごしましたが、
すぐ切り替えて他の業界などにも目を向けました。
そこで4月に入り、東京都内の学習塾を受けることにしました。
1社エントリーシートを出すと通り集団面接へ進みました。
集団面接は面接官1人と私を含む就活生3人で行いましたが、
面接官はあまり私に質問をせず他の2人に重点的に面接をしていた感じでした。
私が聞かれたことは
「理工系の学部で学んでいるのに、なぜうちの業界を選んだの?」
と言った内容でした。そこで「手先が不器用で。」や「自分には向いてないと分かりました。」
など正直に言うと、ネガティブな印象を持たれてしまうので本当のことを言えませんでした。
ちなみに他の2人の就活生は2人とも教育学部の人であり、その1人は
「元々教員を目指していましたが、御社の生徒の合格実績を出すことより生徒のやりたいことを存分に伸ばす教育方針に共感しました。」
などかなり企業研究がされている感じであり、つい先月の終わり頃から対策を始めた私が勝てるはずがありませんでした。
結果呆気なくお祈りメールを貰うことになりました。それでもめげずもう1社受けることにしました。
2社目もエントリーシートが通り、そこは集団面接と筆記試験、模擬授業が同じ日に実施されました。
しかしその頃、私は就職活動への不安がかなり積み重なり社会不安障害を発症し始めていました。
以前まで出来ていた人前で話すことに対し過度な緊張を感じるようになりました。
また大学4年生の1年間は毎日伊達マスクをして過ごしていました😷
その日の集団面接はなんとか出来ましたが、
面接官や他の就活生の前でホワイトボードを使って模擬授業を行う試験では人前に立つと足がガクガクするようになり、
緊張で上手く声も発せられなくなりました。
そう言った人を学習塾側が講師として欲しがる訳がなく、再びお祈りメールが届きました。
他にも県内の製造業の会社の事務職の職種もエントリーしましたが、そこの採用担当者から
「せっかく大学でものづくりの勉強しているんだから、技術職の方を受ければいいのに。」
と難色を示されたこともあります。
そしてもう私には就職活動をする元気やパワーが枯渇していきました。
また周りの同級生達がどんどん内定を貰う話も耳にするようになり、焦りも次第に感じてきました。
そこで私は大学の就職課へ足を運びました。
その就職課には3年生の春頃から何度か相談へ訪れており、私の大学職員として就職する夢もずっと応援して下さいました。
就職活動の近況を報告すると、親身になって話を聞いて下さりそして障害者雇用での就職を打診されました。
ちなみに私の大学からそれまで障害者雇用として就職した学生がおらず、
私が3年次の時から私が発達障害持ちであることを知っていましたが、どうやってサポートしたら良いかずっと手探り状態でした。
そして障害者雇用の情報を掴み、私にいくつかアドバイスを貰いました。
障害者雇用の方が一般枠より障害への理解や配慮が手厚いことから安心して働けると思い、私は障害者雇用への就職を目指しました。
しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
それではまた👋